望郷の日

長年過ごして、長年帰らなかった町を訪れた。

変わっていたり変わっていなかったりする古巣をホテルのチェックイン時間まで暇潰しに練り歩きながら、この町で過ごした十代の頃を思い出している。

いわゆる陰キャ(嫌いな言葉のひとつ)だったことはないし、スクールカーストというこの世で二十番目くらいにくだらないものの定義の中では真ん中やや上寄りにいた自覚もあるし、恋愛ごっこも遊びモドキもほどほどに嗜んできたけれど、

わたしの精神はいつもどこか遠い町の真冬の公園にしか無かったように思う。

モネよりルソーが好き、スタバよりドトールが好き、無印良品より深夜のローソンが好き。

嫌いなものは好きなもの以外の全部で、睫毛の長さやジャニーズの話よりも本当は自分の本棚にある本の話や雨の日に塗る口紅の色の話がしたかった。

それでも同級生とは、本当は流し見しただけのバラエティ番組の話を熱心なファンのような顔で話し、当時はデビューしたばかりだった今も人気のアイドルの話を黄色い声で話し、薬局で買える安くて色の濃いマスカラの話を欠かさなかった。

わたしはそんな十代だった。

InstagramTwitterも影も形もない時代、ポップティーンとセブンティーンとミーナとノンノとミョージョーと、あとはなんだっけ、とにかくそのあたりが東京ではない町の若い女の子の“イケてる”情報源だったように思う。

もちろんわたしはどれも読んでなかったし、興味も無かった。それをさも熟読したかのような顔で話してもボロが出なかったのは、わたしが彼女たちに興味がないのと同じくらい彼女たちもわたしやその他、つまるところ自分以外に興味がなかったからだろう。

わたしが特別に嘘や演技や笑顔や相槌を打つのがうまかったわけではないことは、当時のわたしにもわかっていた。そんな有能な人間だったことは一度もない。

彼女たちも、わかっていたと思う。

もしかしたらわたしと同じように、V6にもあゆにも嵐にもデジャビュのマスカラにもオレンジレンジにも山Pにも益若つばさにもエビちゃんにも興味の無い女の子は、彼女たちの中にもいたのかもしれない。

セーラー服のスカートは折らずに履きたかった子も、牛乳を入れすぎた出来損ないのミルクティーみたいな色のXLのカーディガンを着たくなかった子も、ラルフローレンの紺ハイソが自分に似合うとは思えなかった子も、リプトンのピーチティーが嫌いだった子も、あの中にいたのかもしれない。

野球部の声がデカくて無骨で優しい男の子にも、ヴィレッジヴァンガードのニッチな写真集を購入してゆらゆら帝国とかを聴いてサブカルを気取ってる男の子にも、ウルトラマリンの香りがするシャツを着崩した他校生の男の子にも恋をしない女の子がいたかもしれない。

それでも誰もそう言わなかったのは、別に流行に乗り遅れたくなかったとか、仲間外れになるのが怖かったとか、そんなフィクションのJKたちにありがちな思想では、きっと無い。

単に、めんどくさかったのだと思う。

時代や環境の流れに逆らってまで個性を主張したり、親や教師に理解者ぶって話しかけられたり、するのが。

わかるよ、わたしもそうだった。

そんなことを思いつつ、記憶の中の埃被った地図を頼りにホテルに向かうために地下鉄に乗った。

車内のむわんとした熱気は東京と変わらない。

わたしが面倒くさがりの十代だった頃にはどこにでもいた根元が黒い金髪にPUMAのジャージ上下でキティサンを履いたカップルは、東京でもこの町でもほとんど見なくなった。

でもヴィトンのモノグラムの財布を腰パンのデニムの尻ポケットに突っ込んで歩く若い男も、安全ピンのついたTシャツに黒のミニ丈のパニエを履いた金髪ツインテールの女の子も、

まだ、この町には、いる。

それが、なんとなく嬉しかった。